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2010/05/27

空間と光

わたしは表題の二つの言葉を象徴的に捉えています、宇宙での光と空間は常識的に

は星空に瞬く星々の存在を伝える信号が光でそれらが存在する場所が空間であると

認識するのが一般的であります、そして星は重力で直接に連結していると断定してし

て空間との相関関係には無関心です、まして宇宙空間は真空に近く大気がほとんど

存在しない低温で不活性なうえ無重力状態であるため作用力が存在しない平衡状態

で静止した状態にあると考えられていますから尚更のことです。

このような通念で二十世紀では空間と光が主題となり宇宙論が形成されました

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宇宙からの光は云うまでもありません熱源からの輝きです、星空の輝きは全てが火

の玉かその集団なのです、そこで疑問は何故宇宙にはそんなにも多くの熱源が必要

なのかということです、先ず云えることは宇宙には熱が必要だと言うことです、では星

の熱は宇宙でどのようにして使われるのかそれが気になります、このことについて今

の専門家は全く答えていません。

宇宙空間については一般には無重力空間と見られています、そこは特定の方向から

の作用力が無い平衡の取れた安定した真空に近い平穏な状態にあると考えられてい

ます、そこに活動の素地があるとは全く考えてはいません、果たしてこの空間認識は

正しいのでしょうか、これも等閑にされています。

最近では各種輻射エネルギーの観測で宇宙の探索が盛んです、見えなくて隠された

宇宙の様子を描き出し宇宙の実態に迫ろうという努力がされています、しかし我々の

誤った先入観が災いして成果を得ていません、それは光と空間の認識の拙さに起因

しています、光と云えば二十世紀では宇宙像を決定付ける重大な要素を演じました、

ハッブルは光の変質に着目して宇宙は膨張しているとしました、これが膨張宇宙論を

生みました、アインシュタインは光跡を観測して空間に時間軸を持ち込み抽象化しま

した、それがブラックホールの裏付けになりました何れにしても宇宙に抽象概念を持

ち込むことになりました、単純に空間と光が主体となって考察されたのが二十世紀の

宇宙論の実態なのです、何れにしても実態から遊離した虚像を生み出したのです。

西洋には古くから数式崇拝思想が存在します、公式という権威に魅せられて敬い従

います、それによって得られた成果が新たなる公式を生みます、この積み重ねが

科学の進歩となったのです、偏見や誤解で公式が歪められたら正しい結果は得ら

れません、身近な物で五感で確認出来るものは容易に判断できますが極小、極大

の現象に関しては判断が出来ません、にもか拘わらず光と空間に関する判断を

いとも簡単に下し虚像を描き出したのが現状です、光の赤方偏倚はドップラー効果

しか無いと確認をしたのですか、それが出来たら空間膨張も主張出来ます、

観測者を無視した光の軌跡は虚像でしかありません、虚像を解析しても虚構以外は

生まれません、二十世紀が宇宙観を破壊して空想的な虚像を造り上げてしまったの

です、ブラックホールなんて化け物です、ビッグバーンなんて奇術か手品の類です

こんな低俗な出し物しか見られない現状が残念でなりません。

これは西洋での極端な合理趣味に基づく数式万能思想の弊害だと考えます、

規模に合った合理的な物理的な仕組みを探求することが肝要です、宇宙では宇宙

規模の合理的な仕組み、我々の生活環境での合理的な物理的な仕組み、微少な

原子規模での合理的な仕組みは同一ではないことを認識することが必要です。

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